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ムッシュ@Paris後編(ムッシュその6) [フランスの思い出]

(これまでの話) ルーアンからパリに小旅行にでかけたムッシュ率いる4人組 旅の二日目は各自自由行動となったのですが、初パリのムッシュが訪れるのをご所望された場所は、 凱旋門でもエッフェル塔でもルーブルでもオルセーでも、はたまたオペラ座でもなく、 東洋美術の収集で有名なギメ美術館 深い、深すぎるぜムッシュ・・・ そしてその願望を成し遂げたムッシュは「パリに来た目的を果たした」と言って一人パリの街へと消えていったのでした。 その日の夕方、僕はパリに住む友だちの家に行く前に、荷物を取りにホテルに戻ろうとしたのですが、入り口のカギを預けたはずのムッシュは約束の時間に現れず・・・

『だから言わんこっちゃない・・・』
ギメ美を出たところでムッシュにカギを預けたときによぎった不安が、こうも見事に現実化してしまうとは、「思考は現実化する」のナポレオン・ヒルも脱力するにちがいありません。
僕はなすすべもなくホテルの前に突っ立っているしかできず、時間だけが空しく過ぎ去っていきます。
言うまでもありません(鳩山口調)、『ひょっとしたら・・・』と一縷の望みをかけてホテルの扉を押してみましたが、扉はやはりロックされたままです。

『おのれ、Mさんめ・・・』と心の中で約束の時間を守らないMさんに怒りを覚えながらも、また同時に
『初めてのパリなんだし、どこかでホテルへの帰り道がわからなくなっているのかも・・・』
などと逆にムッシュのことを心配しながらも、とにかく『ムッシュよ、早く現れてくれ』と望むばかりです。
ときどきムッシュが「すいません、遅れましたっ!」と息せき切らしながら走ってくるやもしれぬ、メトロの駅から来るなら、あっち側からくるはずだ等と辺りをキョロキョロと見渡してはみるものの、そんな気配は微塵も感じられず20分くらいの時間が経過しました。

『あぁ・・・アルノー(友人)との約束の時間が・・・』とイライラしながら待っていたその時、ホテルの入り口に一台の車が止まり、一人の男性が出てきました。彼は僕に気づくと
「アンタそこで何をしてんの?」
と声をかけてきました。
なんと今朝、僕に日本人旅行客たちへの通訳を頼んできたホテルのオジサンです。
まさに「情けは人のためならず」。その日の朝にオジサンの頼みを引き受けていたおかげで、オジサンは僕の顔を覚えてくれていて、それで声をかけてくれたのでした。

『救世主現る!』って感じで、僕はそのオジサンに駆け寄り、
「4時に連れとここで待ち合わせてたが、そいつがカギを持ったまま帰ってこないから中に入ることができない」と説明すると、オジサンは衝撃的な告発を・・・

「彼ならもうホテルに帰ってきてるよ」


名称未設定 1.jpg

ぬぁ〜〜〜にぃぃぃいいいいっ!!!
あのオッサン、とっくに帰ってきてるんかいっ!!!

僕はオジサンに扉を開けてもらうやいなや、ホテルの階段を駆け上がり、部屋に向かいました。扉のノブに手をかけて開けようとしたのですが、カギがかかっていて開きません。
僕はドアをノックしながら
「Mさん!ちょっとMさんっ!」と呼びました。当然のことながら、声はややキレ気味。
一応『Mさん』などと呼んではいますが、心の中では
「おいコラ、オッサン、早よ出てこいやぁっ!!!」
というレベルです。

すると扉の向こうから
「えっ、・・・は、はい?・・・あっ・・・ちょ、ちょっと待って・・・」
とうろたえ気味のムッシュの声が・・・
大人げないと言われればその通りですが、ホテルの外でさんざん待たせておきながら、まだそれでも『待て』と言うムッシュの態度に、僕はさらにまた頭に来て
「ちょっと早く開けてくださいよっ!」
とたたみかけるように言うと、しばらくしてガチャリとカギの開く音がして扉が開きました。
僕はその扉を押し開けながら部屋の中に足を踏み入れ
「Mさん、もうとっくに4時になってるじゃないですかっ!」
と憤懣やるかたないという感じで言うと、ムッシュは、
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」と言いながら、
「い、今ちょっと拝んでいて・・・」

「はぁ?拝む?」
と、ムッシュの視線の先にある部屋のテーブルに目をやると・・・
なんとそこにはルーアンのムッシュの家で見た
あの5体の神々のお姿が!!!


もうね、そら確かにね、宗教の力というものはすごいもんですよ・・・
パリやルーアンのカテドラルを見てもね、よくもまぁこんなもん作ったなと、たいしたもんですねと、それをやってのけるのが「宗教」というもんなんですと・・・
でもね。今回の旅行にまでね。わざわざルーアンからね、神様御一行をお連れするのですかと・・・
もうこの際、はっきり言わせてもらいますが、
家で留守番してもーとけっ!!

要するに祈りを捧げるのに夢中になっていて約束の時間に出ていくことができなかったというのがムッシュの言い訳だったのですが、ゆっくり話を聞いているひまもなく、話はとりあえず帰ってからと、僕は荷物を取って友人の家に出かけたのでした。

そんなこんなで友人の家でのひと時を過ごして、その家を出る頃にはこっちの怒りもおさまったというか、逆にムッシュにあまり気にして欲しくないなと思いつつホテルに戻ると、OさんとU子さんもすでにホテルに戻ってきていました。
「ただいまー」と言って部屋の中に入ると、ムッシュを囲んでOさんとU子さんが何やら話をしている様子。ムッシュは元気がなさそうだったので、夕方のことを気にしているのかと思っていると、ムッシュは僕の姿を見て
「あ、foretさん、さっきはすみませんでした」と言ってくれました。
僕も「いや、まぁ、もういいですよ」と言いつつ、内心では『やっぱり気にしてたのか・・・』と、ちょっとキツイ言い方をしてしまったのかなと思っていると、Oさんが
「あのforetさん・・・実はムッシュがアリアンス(フランセーズ←語学学校)を辞めるって言ってるんですよ・・・」と言い出しました。
「えっ?辞める?まだフランスに来てひと月くらいしか経ってないのに?」
と僕がびっくりして言うと
「そうなんですよ。それでさっきからU子さんと一緒に考え直すように言ってるんですよ。」とOさん。

ムッシュに一体何があったのでしょうか?
(「後編」などと書いて置きながら、まだもう少し続いたりします・・・)


最後に・・・

このブログの趣旨とは異なることなので書くのは気が引けるのですが、みなさんは現在、民主党が永住外国人に地方参政権を付与するために動いていることをご存じでしょうか?
「永住外国人に参政権を付与する」というのは、実は民主党は随分と前から主張していることで、民主党の政策集にもかかげていることなのですが、夏の衆議院選挙の時にはこの主張をあえてマニフェストからは削除しています。なぜなら選挙前の新聞アンケートで95%以上の国民が外国人参政権に反対するという結果が出ており、マニフェストに載せたりすると選挙で不利になることが目に見えていたからです。
そんな法案を国会で多数を占めるようになった今、なんの国民的議論もなされないまま民主党は数の論理で押し通そうとしています。これに対して今開かれている国会の場で、数人の保守派議員が追及しているのですが、何故かその日に限ってNHKはテレビ中継を行っていません。
僕はこのような国民の目が届かないところで国家主権にもかかわるような重大な問題が決められようとしていることに大きな不安を覚えざるをえません。(現行の憲法では外国人に参政権を与えることは認められておらず、本来なら憲法改正にまで及ぶ話なのですが、民主党は都合の良い法解釈でこれを乗り切ろうとしています)
民主主義の国として、国民の目にしっかりと見える形で議論を行ってもらいたいと思います。
ちなみにオランダでは一足早く「友愛社会」を実現させてしまったために、移民が大量になだれ込み、まもなく国民の過半数がイスラム教徒になってしまうそうです。民主党は今、外国人住民基本法というものまで用意しており、この法案が通過すると、どんな形(不法滞在であっても)であれ、外国人が日本に5年住めば参政権にとどまらず、日本人と同等の権利を全て与えられるという、とんでもないことになってしまいます。しかもそこまでする理由が「日本は戦争中に外国の人々に苦しみをあたえたから」というのだから話になりません。こうなってしまうと中国から反日教育にどっぷりと漬かった大量の移民がこの国にやってくることは疑いもないことで、昨年の長野での聖火リレーのときに長野の町のあちこちで日本人をとりかこみ暴行を加える中国人の姿を目の当たりにした僕としては憂慮にたえません。
外国の人たちと共生することは大切なことです。しかし参政権まで差し出してまで融和しようとするなら、経済的にはまだ豊かで、かつ中国や韓国・北朝鮮のような反日国家にとりかもまれているこの国はとんでもない方向に向かって走り出しかねません。事実、今でも日本人が足を踏み入れにくいような場所が日本の中にあちこちとできつつあるような状況なのです。
この法案が絶対に通過しないよう、一人でも多くの国民が声をあげなければいけないと思っています。

※動画は自民党の稲田朋美議員の国会質疑のもよう。これでポッポが「慎重に議論を」といった翌日、民主党から議員立法での今国会での成立を目指すとの声があがるんだから、もーいや・・・
民主党議員が「外国人参政権と憲法」について、質問趣意書を提出しようとしたら、党の圧力で撤回させられたらしいです。なんというファシズム体質なんでしょうか。

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ムッシュ@Paris《中編》(ムッシュその5) [フランスの思い出]

パリでの小旅行2日目の朝を迎えました。
ホテルでまったりと朝食をとった後で今夜の部屋割りを決めます。
四人の気合いのグッパーが炸裂!
結果は「foret&ムッシュ」、「Oさん&U子さん」に・・・ort

ちょっとしたショックを感じていると、そこにホテルのオバサンがやってきました。どうやら今日の午後5時までホテルの入り口のドアを閉めることになるらしく、もしそれよりも前にホテルに戻ってくるつもりがあるのなら入り口のドアのカギを渡すから出かける前に言ってくれとのことです。
僕たちは「そんなんアリ?」と驚きながらも、家族経営の小さなホテルだからそんなこともあろうと納得するしかありません。まぁこちらもわざわざパリまで来て、5時前にホテルに戻ろうなんぞとは思わないのが普通なのですが、実はこの日の夕方に、僕はパリに住むフランス人の友人の家に遊びに行くことになっていて、そこに持って行く荷物をホテルに置いたまま出かけ、4時頃にそれを取りにホテルに戻ろうと思っていただけに、なんとも鬱陶しいことですが、こうなってしまうと入り口のカギを借りていくしかありません。

そんなこんなで準備を整えつつ出かけようとしていると、このとき初めて顔を見るホテルのオジサンが「ちょっと来てくれ」と僕を呼び止めました。何事かとついていくとフランス語も英語も通じない日本人の客が来たので助けてくれとのこと。
『かー、めんどくせー観光客だなぁ、もう・・・』と内心で思いながら受付まで行くと20代前半ぐらいの日本人女性が二人。彼女らは突然現れた薄汚い同郷人に旅情をぶち壊された思いなのか、こちらがオジサンの話を日本語で説明しても「はぁ・・・」って反応で愛想なし。全く持ってふがいない思いをしつつも無事任務を終え、気を取り直して出発です。OさんとU子さんとはメトロで分かれ、ムッシュとともにギメ美術館の最寄り駅であるイエナ駅に向かいました。

いつぞやのblogでも書いたとおり、僕は小学生時代に浮世絵にはまるという変な子どもだったのですが、実はギメ美術館には浮世絵フリーク垂涎の名品が数多く所蔵されているんですね。本来ならば「ムッシュを観察する」というくだらない目的であとをついていくどころではなく、パリに向かう列車の中から二人で熱いトークに花を咲かせつつ、肩でも組んでスキップしながら向かうべき美術館だったのかもしれませんが、当時は「わざわざパリまで来て何故ギメ美?」てな感じだったので、特に盛り上がるでもなく、だらだらと二人でムダ話しをしながらギメ美に向かいます。

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《ギメ東洋美術館です》

中に入ると1階はこんな感じ。
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ムッシュはすでに興奮気味。
「いやぁ、いやいや・・・」といいながら、やたらと「スゴイなぁ」を連発。僕にはそのスゴサはわからず、日本の仏さまとくらべたら、あまりありがたみのある顔には見えませんでした。なんとなくハクション大魔王のアクビちゃんの顔に見えたりして・・・

そんな中でもムッシュがお気に入りだったのが、象の顔をした神様の像。
「ガネーシャ」というお名前の神様で、ムッシュのお話によると、日本では「聖天さん」として親しまれている神様だとか。実はこの神様の像はサイズこそちがうものの確かムッシュの家の暖炉の上にもあったような気がしたので
「この像ってMさんの家にもありましたよね?」と聞くと、
「うん、ありますよ。こいつはね、怒らせたら大変なことになるんですよ」とMさん。
神様にむかって「こいつ」呼ばわりしている時点で、大変な目にあう資格は十二分にゲットしているはずなのですが、「それに巻き込まれるのはまっぴらゴメン」と思いつつ、僕は美術館内部に置かれている神様をやたらと「こいつ」呼ばわりするムッシュについていきます。

そうこうしているうちに今度はネパール・チベットあたりの仏画のコーナーに入っていきました。
日本の仏教でイメージするのと全然ちがいますよね、この当たりの仏画って・・・

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大変な目にあいたくないので、コメントを差し控えさせていただきます(笑)

いろいろと見ているうちに、ふとムッシュが
「僕はね、大学でヒンディー語とかネパール語とか勉強してたんですよ。だから、このあたりの言葉なら5カ国語くらいわかるんですよ」
と言い出しました。
僕も「へー、すごいですねぇ」と素直に感心していると、ムッシュはある仏画の絵に描き込まれた文字を見ながら
「えーと・・・ふん、ふん・・・ほぅ、なるほどね、はいはい・・・」
などと何かを納得したかのような素振り。
僕も思わず「何が書かれているんですか?」と純粋にムッシュに尋ねてみたところ、
「いやぁ・・・ハッ、ハッ、ハッ・・・」と笑いながら次の絵に・・・
ってスルーかよ!!

なんかもう・・・脱力させられまくりです・・・
それでも「こいつはね、日本では『閻魔大王』になってる神様なんだよね」などといろいろ教えてくれるムッシュの話は、それはそれでなかなか勉強になります。

※ちなみに閻魔大王って極楽行きか地獄行きかを決めてもらうため、死後その前に引きずり出されるということなのですが・・・

えんま.jpg
日本のこれなら恐くても、まだ我慢できそうですが、チベットあたりのお姿は・・・


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こんなん絶対ムリ!チビる自信120%!

そんなこんなで1階の展示室をひととおり見終えるとムッシュは
「もう一回、さっきのガネーシャ見に行ってもいいですか?」と言うので、つきあってついて行くと、ムッシュは再びガネーシャの像をしげしげと見つめながら
「いいねぇ・・・ウチに持って帰りたいなぁ・・・」と一言。こんなでかいの持って帰って何をしようというのか・・・

とにかく1階の展示室を見終えると、2階の中国・日本コーナーにはムッシュはほとんど目もくれずにほぼ素通り。別展示室に日本の東寺をモデルにした立体曼荼羅があったので、それを見に行こうと誘っても、
「あ、foretさん行きたいの?じゃあ行こうか・・・」
てな感じで、いまいち興味は引かれない様子でした。
やはりムッシュには「オドロオドロしい系」の神様の方が性に合ってるんですかね。
ちなみにギメ美にある日本の仏様(仏像)たちはなんとなく居心地悪そう・・・ 陳列棚に収められているよりも、やっぱりお寺でお姿を拝見するのが一番ですね。

ギメ美を出て、二人でぷらぷらとイエナ駅の方に向かう間もムッシュは、「あのガネーシャが欲しいなぁ」と何度もつぶやいていましたが、僕は相手にせず、
「Mさん、これからどうします?エッフェル塔まで行きますか?」
と初パリのムッシュに一応(?)気をつかったつもりで言ったのですが、ムッシュは
「いや、これでもう僕の旅の目的は終わりましたから」
とあっさりと拒否。
何度も言いますが、この人はパリに何をしに来たのでしょう・・・

『もう勝手にしなはれ!』って感じで、僕は今からオルセーに行く旨をムッシュに告げつつ、一応これからどうするつもりなのかと聞くと「いやー、まぁ適当に歩いてみてからホテルに戻りますよ」とのこと。しかも僕がホテルにいったん戻ろうとしていた時間よりも早くに戻ろうとしていたので、そうなると僕が持っているホテルの入り口のカギをムッシュに渡さなければいけません。
一抹の不安を覚えながら、僕は
「先にホテルに戻るつもりなら、Mさんにホテルのカギを渡しておきますけど、僕は4時にホテルに戻るので、そのときにホテルの外に出て待っていてもらえますか?」と頼みました。
ムッシュは「あ、いいですよ。4時ですね」と答えてくれ、僕たちはイエナ駅のところで別れたのです。

その後、僕はオルセーを見物し、「こぉひぃむっつ」の方でない本物のカフェ・ド・フロールにも寄り、サン=ジェルマンあたりをうろつきながら4時にホテルに戻ったのですが・・・・


ムッシュ、ホテル入り口に姿を見せず・・・
(ま、お約束通りの展開とも言えますが・・・)

※続く
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ムッシュー(その4) [フランスの思い出]

先日の選挙の結果を受け、某mixiで荒れております(笑)
民主党はさっそく外国人参政権を認める法案を出すそうですし、ダメ教師をふるいにかけるためにせっかく決まった教員免許更新制度も日教組に言われるまま廃止しようとするみたいです。今回、民主党に投票した人たちは、日教組や韓国民団が民主党の支持母体だということを知っていたのでしょうかね?
これから日本の国がどうなっていくのか本当に不安ですが、mixiで荒れているだけでは人格に破綻をきたしそうなので、バランスをとるため、久々にソネブロの方に戻って参りました(笑)。
もうね・・・笑いもないと、人生やってられませんよ・・・

てなわけで、ずっと放置したまんまのムッシューネタです。

ムッシューがルーアンに来て、ちょうど一ヶ月が経とうとしていたころ、ひょんなことから一緒にパリに2泊3日の小旅行をすることになりました。参加メンバーはご存じムッシューと美容師のOさん(男性)、「謎の女」U子さん、そして僕の総勢4名です。U子さんのことを「謎の女」と言うのは、本当にわけがわからないというか、その辺に落ちているものをやたらと拾うという理解不能の悪いクセがあって、僕の家に来るときにもよく、
「ねぇ、ねぇ、これ見て・・・拾ってきたの、カワイイでしょ?はい、これforetさんにプレゼントッ!」
と言いながら、でっかい落ち葉とか木の枝といった迷惑極まりないおみやげを持って来ていたからです。
(一度、何かの抜け殻みたいなのを持ち込んできたときにはさすがにキレました。)
まぁ彼女のことについても、いつか触れねばならぬというところなのですが、その話はおいておくとして、とにかくその4人でパリに出発です。

 僕はたまたまパリに知り合いがいたので、フランスに着いたときもいきなり留学先のルーアンには直行せず、その知人の家で1週間ほどパリの見物をしていました。OさんとU子さんも同じようにパリには数日滞在済みだったのですが、ムッシューは成田→ド・ゴール空港→サン・ラザール駅→ルーアンと、まるで「乗り換えナビ」に表示されていたかのようなムダのない動きでルーアンやってきたとのことなので今回の旅行が初めてのパリ見物です。

 お宿はポン・ヌフ近くの安い宿を予約。どうやらアラブ系の人が経営している感じのお宿だったのですが、どういうわけか部屋の壁には怪しげなギリシア風の絵が描かれていました。二人部屋を二つ予約していたので、まずは部屋割り。『U子さんと一緒というのは気をつかうし、ムッシューとは・・・』という思惑が脳内を駆け巡るまま、グーとパァで決めた結果、部屋割りは「foret&Oさん」「ムッシュー&U子」に・・・。U子さんを除く3人にとっては理想的な展開(笑)です。まぁでも、二人部屋を二つということは事前に話をしていて、U子さんも了承していたわけですから、ここは納得してもらわないといけませんな。

てなわけで無事(?)部屋割りもすんだので、まずはアール・エ・メティエにある中華街へオニバ!「せっかくパリにきて、いきなりメシ?しかも中華かいっ!」というつっこみの声も聞こえてきそうですが、何の迷いもなくメトロでGO!「高価なくせに味はいまいち」というパリの和食の店に行くほどリッチでない立場の僕たちにとって、中華料理というものは魅力があります(仕事のヤル気をなさではフランス人の上をいく中国人店員の無愛想な態度を差し引いても、です)。
 その中でもアール・エ・メティエの「温州なんとか(←名前は忘れましたw)」というお店は、ソルボンヌの大学院で学ぶ台湾人の友人に教えてもらった店で、パリに向かう列車の中で、その店の話をしたら3人とも「ぜひ行きたい!」ということだったので、宿にチェックインした後で真っ先に向かったというわけです。確かにみんなアジアの味に飢えてましたね。
 僕たちは牛肉を煮込んだようなのがトッピングされている麺と、日本で人気の皮パリパリ餃子とは真逆ともいえる団子のような皮の餃子を食べ大満足。まぁ今にして思えば大しておいしいものではなかったかもしれませんが、特にムッシューは大絶賛!。こういうところは本当に連れていき甲斐のある人です。

 店を後にした僕たちは、そのままボーブール通り(Rue Beaubourg)を南下。一路、ポンピドゥーを目指します。パリはぶらぶらと散歩をするのが素敵な街であることは確かなのですが、それは場所によりけりで、この道はとりたてて周りを見まわしながら歩くような通りでもなし。僕たちはくっちゃべりながら歩いていたのですが、そのうち「明日はどうしようか?」という話になり、即決で『各自自由行動』ということに(笑)。まぁ折角パリに来たのだからお互い自分が好きなところに行けばいいんじゃないのという結論です。僕は『ジュンク堂(パリにある日本書店)に行ってからオルセーにでも行こうかなぁ』と思いながら、ムッシューに「Mさんは明日どこか行きたいとこあるんですか?」と聞いてみました。するとムッシューは何の迷いもなく
「ギメ(美術館)です」とのお返事。

「えっ、ギメ?」と僕は思わず聞き返してしまいましたが、ギメ美術館をご存じの人はきっと僕と同じ反応をしたことでしょう。なぜならギメ美術館とは東洋美術を専門に扱っている美術館で、「パリに来るのは初めてです」という人間が真っ先に行きたいと言い出すとは考えられないような場所だったからです。

「前からぜひ行ってみたかったんですよー」とうれしそうに話すムッシューの話を聞きながら、僕は
『一体、この人にとってパリって何?』
と自問自答しつつ、
『まぁ日本から仏像持ってきて、お祀りしているような人だしなぁ・・・』
とムッシューの思考の整合性を自分の脳内で補完しているうちに、この人の行動を見届けたくなり、
「じゃあ、僕も一緒に行っていいですか?」
と言ってしまいました。虎穴に入らずんば虎児を得ずです。←なんのこっちゃ(笑)
「そうですか?じゃあ行きましょう!」とムッシューも快諾。明日の朝一番にギメに行くことが決定しました。

 その後、僕たちはポンピドゥー内の国立近代美術館を見学し、それからサン=シャペル、ノートルダム寺院と回りました。しかしムッシューはこれらの超有名スポットにはあまり興味を示さず。特にノートルダム寺院では入って5分くらいで「あぁ、ダメだ。もう早く出たくなってきた。」とまで言い出す始末。異教徒の信仰の場に足を踏み入れたことに対して、ご自分の神々からお叱りでも受けていたのでしょうか。しまいには「僕、先に出て、出口のところで待ってます」と言って、そそくさと退散してしまいました。ムッシュー自身がというよりも、キリストの方が「悪霊退散!」・・・じゃなかった、「悪魔よ去れ!」と退けたのかもしれません(笑)。僕たちは「ほんまにもー、わけがわからん人ですね」とあきれながら苦笑いするしかありませんでした。

《続く》
(今回はあんまりネタがありませんでした・・・)
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ムッシュー(その3) [フランスの思い出]

いきなりですが謝らせていただきます・・・

日本、アメリカに勝利!!!
いやー、前回のブログで「侍ジャパン」というネーミングにケチつけた途端
随分とたくましいチームになってくれました。
一時の感情におされて失礼なことを申し上げ、失礼いたしました。
ここに深くお詫びいたします。

しかし僕の場合、こういうのって多いんですよ・・・
北京オリンピックに絡む長野の聖火リレーで、出発地点となった善光寺に対して、「せんとくん」をネタに批判する動画をつくって(いい年して、何やってんだろ)、某動画サイトにアップした翌日、その善光寺が出発地点を返上してくれたのです。
ちなみに僕がつくったその動画は自分でも信じられないくらいのアクセスとコメントをいただき、正直ビビってしまいました(笑)

こうなったら、もう「SAMURAI JAPAN」でも「SHOGUN JAPAN」でも「NINJA JAPAN」でも「GEISHA JAPAN」でも「SUSHI JAPAN」でも、『こう呼べ!』と言われたら何とでも呼ばせてもらいます。

それにしても日本チームの呼び方って、
長島ジャパン(アテネ五輪)→ジャパン(前回WBC)→星野ジャパン(北京五輪)ときて、なにゆえ「原ジャパン」ではなく「ジャパン」になったのでしょう?(原さん、ちょっと気の毒)
舞台が米国だけに、負けたときに「ハラキリジャパン」と揶揄されるのを恐れたのかと穿った見方すらしていましたが・・・。まぁ、しかしもうそんなことはどーでもいいです。
あとはもう決勝戦で悔いのない戦いをしてもらえれば十分ですよ・・・

と言いたいところなのですが、相手はまた
テーハミングッ!(ドドンガドンドン)かよ・・・
振り返ってみると、今大会の日本の相手って
中国→韓国韓国→キューバ→韓国→キューバ→韓国→米国→韓国、って、どんだけー
もーうんざりって感じですね。
なんか勝っても負けてもあまりいい気分になれなさそう・・・。
日本が負けたら、国をあげて「マンセー!」「列島制圧!」などとこちらが気分悪くなるような騒ぎ方をするし、下手に日本が勝ったりすれば、「恥ずかしい勝利」「真の王者は韓国」「韓国が負けて残念とのアメリカ市民の声」「謝罪と賠償を要求するニダ」などと言うんでしょ、どうせ・・・
そして最後はなぜか北朝鮮から報復のミサイルが・・・
ムキーッ!!![むかっ(怒り)]

テロ朝の呆道ステーションでは、
「番組に小学5年生の女の子からファックスが届きました。『あす日本が勝ったら、日本の旗と韓国の旗とを2本、マウンドに立ててほしい』と・・・。こういう気持ち、大切にしたいですね」
「教えられますね-」
という話をしていたそうですが、アホかっ!
マウンドに旗を立てること自体が本来ダメなんだよっ!
お子様ランチじゃあるまいし・・・
(ちなみに報道ステーションはFAX番号非公開なんですけど・・・また捏造?)

いかん・・・落ち着け・・・
深呼吸、深呼吸・・・

まぁ、そんなことはおいといて・・・
前回、『次はMさんとのパリ旅行の話』という予告をしていたのですが、その話を始める前にひとつ説明をしておかなければいけないことがありました。
ということで、今回は・・・


さて、『外国語を身につけるのに一番良い方法は?』と尋ねられたら、ほとんどの人が、
「その国に行って生活をする」、特に「(ホームステイなど)一般家庭の中に入って学ぶ」というようなのをイメージするでしょう。僕もそう思い、フランス到着直後はルーアンの語学学校でホームステイ先を紹介してもらい、ルーアン郊外にある家庭にステイすることにしました。

みなさんは『ホームステイ』なんていうと、ステイ先の家族にまるで家族の一員であるかのように温かく迎えられ、帰国の日には、その家族と共に過ごした思い出が走馬燈のように頭の中を駆け抜け、もう泣けて泣けてしょうがないといったのを想像するのかもしれませんが(ウルルンの見すぎ)、僕の知る限り、フランスのホームステイでそういう話を聞いたことがほとんどありません。というか皆無に近かったです。

何を隠そう、僕なんてね。あてがわれた家庭は母と娘の二人暮らしとのことでしたが、娘は僕がルーアン到着時にはイタリアに長期バカンスに出かけていて留守。そして母の方は、僕が到着して二週間後に、これまたバカンスということで家を出て行き、フランス到着後2週間で、僕はよそ様の家で一人暮らし(『留守番』ともいう)をすることになったのです。(ホームステイの意味なし)。まぁここでコアな話をしてもどうかとは思うのですが、滞在許可証をとるのにムチャクチャ苦労したんですよ、なんせこんな状態だったもんでねっ!(思い出すと腹がたってきました・・・)

結局、その後しばらくは一人暮らし。家にいる時はテレビを見てもさっぱりわけがわからないので、比較的理解しやすいCMばかりを見る毎日。
『ちくしょー、もう本編始まっちゃったじゃねぇか・・・えーっと、CMやってるチャンネルはと・・・』みたいな状態(笑)です。

ひと月ほどして、「女子大生」ということで正直ちょっと期待もしていた娘がやっと帰ってきてくれたのですが、身長デカすぎ!僕で身長が173cmあるんですが、その僕が見上げるくらいの身長でした(180cmくらいあったと思う)。
しかも何回言っても、僕の名前を覚えないし・・・ていうかあまり覚える気が感じられませんでした。
(結局、最後まで「こー」と呼ばれてましたよ・・・。犬かっ![犬]

結局、その家には6ヶ月ほどいたのですが、僕がその家を離れるときにも、娘はフィレンツェへとバカンスに出かけており、誰に見送られることなく、きちんと家の戸締まりをした後、家の扉わきの秘密スペースに鍵を隠してその家を去ったのです(トホホ・・・)

てな状態で散々だったのですが、基本的に日本からくる語学留学生はホームステイする人が多かったように思います。中にはオーペア(ベビーシッター)としてがんばっている人もいましたが、いきなりアパートで一人暮らしという人はほとんどいませんでした。
そんな中、我がムッシュー(Mさん)はいきなりアパートで一人暮らしというのを聞いて俄然興味を持ち、ある日、家をおじゃますることになりました。
待ち合わせの場所(どこかのコテ)でMさんと落ち合い、いざお宅訪問!
奥に通され、Mさんのくつろぎスペースの部屋に入ると、そこには豪華とは言えないものの暖炉があり、そしてその上には・・・・

なんと5体の神仏のお姿が!

「Mさん、これって・・・」
一瞬、僕の脳裏に『やばいとこに来てしもたっ!』という思いが錯綜しましたが、とりあえずMさんに尋ねてみると
「あっ、それね。日本から持ってきました。」とMさん。
日本から持ってきたって、そりゃそうでしょ。そういうことではなく、なんで持ってきたのかが知りたいところだと思っていると、
「いやー、毎日拝んでやらないとうるさいんですよー」と再びMさん。
「うるさいって・・・(???)」
「ここにいるのはね、みな相当なパワーを持っている神様ばっかりなんですよ。僕がパワーを持っているのもね、みんなこの神様たちのおかげなんですよ。でもそのかわり、ちゃんと拝まないと大変なことになるんですよ。」
「大変なことって、どういうことですか?」
「いやー、とにかく大変なことですよ」

Mさんにそう言われ、わけがわからないなりにその神様のお姿を見てみると、中には日本のお寺でも見かけるような像がある一方で、昔、世界史の教科書に出ていたシヴァ神のようなのや、ゾウの頭をした神様もいて、なんとも恐ろしそうな様子です。
ていうか、そんな神様以上に、Mさん。アナタ、ヤバイんじゃないですか???

Mさんによると、一日2回は拝んでいるとのこと。何が起こるのかは教えてもらえませんでしたが、とにかく怒らせたらコワイと何度も言われました。また素人が下手に手を出したら、とんでもないことになるから気をつけろとの忠告もいただきました。(やらないって・・・)

僕は小一時間ほどMさん宅におじゃましてから、おいとましたのですが、何ともいえぬ気分でした。とにかくMさん宅訪問でわかったことは
・Mさんは想像していた以上に変わった人だということ。
・Mさんのパワーの源はお家に祭られている神様たちのおかげ。
・その神様たちをおこらせたらエライことになる。

ということでした。

僕のクラスにいた韓国人の女の子に「イレ・ビザール(あの人、変)」と言われるその時まで、あと2週間の出来事でした。今夜もご覧頂きありがとうございました。(by松平アナ)

ムッシュー(その2) [フランスの思い出]

日本、負けちゃいましたね
だいたい「侍ジャパン」なんて言い出したころからイヤな予感はしてたのですが・・・

しかし、まだ終わったわけじゃありません。
次のキューバ戦でもう一度、這い上がってきてもらいたいものです。
前回大会だって、この崖っぷちの状況から優勝したのですから・・・

ただ思うんですけど、日本って言霊の国というだけに、アナウンサーが
「ここでああなるとこうなり、ますます厳しい状況に追い込まれてしまいます、侍ジャパン!」
なんて言っているのを聞くと、ホントにそうなったりして気分悪いんですよね・・・
まぁ、ほとんどグチですが(笑)

※追記:日本はキューバを5−0で撃破!
今度こそ韓国との決着にけりをつけてもらいたいです!


さて久しぶりにムッシューネタを・・・

ムッシューMにお会いしてから2週間ほどたったころの話です。
ある日曜日のお昼すぎに僕の家に一本の電話がかかってきました。

『もしもーし、じゅ・まぺる・○○○(←Mさんの名前です)。あ、foretさん?』

Mさんからの電話でした。
『もしもーし』で切り出しておきながら、いきなり中途半端に使われるフランス語・・
しかもその使い方には妙な怪しさもあり、僕は腰がくだけそうになりつつ用件をたずねてみると
「いやーいやいや、天気もいいからforetさんを誘って散歩でもどうかなと思って・・・」
と散歩のお誘いでした。

ちょうどひまを持てあましていたときだったのでMさんの申し出を快く(笑)受けながら、
「いいですよ。で、どこで待ち合わせしましょうか?」とたずねると
「そうですね・・・、じゃあミュゼのコテでどうですか?」とMさん

(『ミュゼのコテ』って、なにもそこだけフランス語で言わなくても・・・)
とも思いつつも、まぁ使えるところから積極的にフランス語でいくのは決して悪いことではありません。とりあえず指定された時刻に、指定された『ミュゼのコテ』に出向くと、そこにはすでにMさんの姿がありました。

rouen20.jpg
ルーアンのミュゼのコテです(笑)

「いやーいやいや、どうもすみませんね。つきあわせちゃって・・・」と言いつつ、
Mさんは満面の笑みで僕を迎えてくれました。

この人、このあと周りの日本人たちをまきこんで、いろんなことをやらかしてくれ、僕自身も内心、『もー、いいかげんにしろよな、このオッサン!』と思ったこともしばしばだったのですが、本当に憎めない笑顔の持ち主なんですよね。
そういう意味では、『まぁ・・・仕方がないか』と相手に思わせてしまう術は天下一品でした。


「で、どこに行きましょうか?」と落ち合って早々に僕がたずねると
「実はね、カフェってとこに行ってみたいんですよ」とMさん。
僕は『散歩でいきなりカフェ?』と思いつつも、
「あ・・・いいですよ、じゃあどこのカフェにしましょうかね」と聞いてみると、どこでもよいとのこと。
というわけで、僕自身も行ってみたことはないものの、数日前にたまたま見かけたカフェに行くことにしました。店の前がちょっとした広場のようになっていて、一度行ってみたいなと思っていた店です。

でもってそこから歩いて数分というそのカフェに入って、席に座ってみると
「いやーいやいや・・・これがフランスのカフェですか・・・なかなかいい感じじゃないですか・・・」
とMさんも気に入ってくれたご様子。
そしてすかさず、
「あのー、ビール頼むときってどう言えばいいんですか?」との質問です。
実を言うと、僕は学生時代、クラブの宴会で
「お前は食わなくていいんだよ。飲め飲め!」と言われて、自分の箸を折られるわ、
《ビール+日本酒+しょうゆ+なべの汁=「?」》というような解不能のシロモノを飲まされるわといったこともあり、ビールというものを自分から注文して飲んだ経験が全くありませんでした。
なもんですから、「ビール?ビールですか?」とMさんの質問に少々ひるみながらも、
「『アン・ドゥミ・シルヴプレ』でいいんじゃないですか?」と『確かどこかで聞いたぞ・・・』という記憶をたどりながら答えると、
Mさんは「アン・ドゥミ・シルヴプレね・・・。アン・ドゥミ・シルヴプレ、アン・ドゥミ・シルヴプレ・・・」
と呪文のように復唱をくりかえしました。

そうこうしているとギャルソンのお兄さんがやってきたので、僕はカフェオレを注文しようと
「アン・カフェ・・・」といいかけた途端
「あん・どぅみ・しるぶぷれっ!!!」
と炸裂するMさんの注文。
その気迫にギャルソンのお兄さんも気圧されたように感じたのは気のせいでしょうか?
やがて注文のビールがやってきて、
「いやー、いやいや・・・フランスのビールもなかなかいけますね」
と、Mさん、かなりご満悦のご様子でした。

僕たちはそこで30分ほど話をしながら過ごしていたのですが、やがてMさんが急に
「あっ、そろそろ僕、用事があるんで・・・」と言い出しました。
僕は「えっ、そうなんですか?」と言いながらも、心の中では
(天気がいいから散歩しようって言ってたのアンタの方でしょうが・・・)
と何となく腑に落ちない思いでいると、Mさんは
別れ際に、最後に一言
「ビールを注文するときは『アン・ドゥミ・シルヴプレ』でしたね?」
と言って去っていきました

そこで初めて僕は、彼の目的が『散歩』などではなく、
『ビールの注文のしかたを知ること』であったことに気づいたのです・・・

その二日後、
ちょうどMさんと同じ時期にフランスにやって来たOさんが僕の家に遊びに来てくれました。
一緒に話しているとOさんが
「なんか昨日、Mさんにビール飲みに行こうって誘われたんですよ」と言い出しました。
僕はなんとなくピンとくるものがあって、
「それって、ひょっとして・・・カテドラルのとこをちょっと北にいったとこにある・・・」言うと
「そうそう、そこです。なんか『うまいビールを飲ませる店があるんですよ』とか言ってきて・・・」
「やっぱり!そこ実は僕がおとといMさんといっしょに行ったとこなんですよ」
「あ、そうなんですか?なんか『ビールの注文の仕方、知ってる?』とかエラそうに言ってきて・・・」
「はぁ・・・そうなんですか・・・」

その後、何度となく繰り返されるMさんによる脱力事件の第一発目のお話でした。
※次回はそんなMさんと行く「2泊3日パリの旅」のお話です。

《オマケ》
某mixiでもとりあげたのですが、なんとなくもう一度・・・

僕がフランス語という言語を生まれて初めて意識したのが冒頭のこのセリフでした。
エトワール・ドゥ・ラ・セーヌ!
それではみなさん、アロン・ジー!

ぐぃ~んの~、とぅるぐぃお~、ふぅるぅうのだ~♪
今、考えたら、この格好ってないわー(笑)

失礼いたしました・・・
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ムッシュー(新キャラ登場)その1 [フランスの思い出]

フランスに滞在していると、ある意味、日本にいるときよりもかなり高い確率で「ちょっとかわった日本人」に会うことができます。(自分も他人のことを言えた義理ではないですが・・・)

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バァ・・ウェ~ [フランスの思い出]

久々に「ワイン紀行」ネタ以外で・・・

フランスから帰国して二年くらいが経過したころの出来事です。
パリで一緒のアパートに住んでいたOさん(彼はフランス人の女性と結婚され、今でもパリにお住まいです)が、奥さんとその家族と一緒に帰国され、京都に遊びに来ました。久々の再会をして、その後いろいろと京都を歩き回ったのですが、そのときの僕が思ったことは・・・
『フランス語が出てこない!!!』 ということです。

このままではマズイ、と思った僕は『無理やりでもフランス語を話す時間を持たなければ・・』と、早速、大阪にあるアリアンス・フランセーズ(フランス語の学校です)を訪れました。途中からでも入れるようなクラスはないかとたずねてみたところ、中級クラスなら希望の曜日に入れるとのこと。進度は未来形を学習中とのことでした。
『うーん・・・そのあたりなら別に今更・・・』(←かなり傲慢)
と思いながらも、とにかく目的は『無理にでもフランス語を話す』ということだったので参加させてもらうことにしました。

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リベンジ決定!! [フランスの思い出]

なんか最近忙しさにかまけて更新をサボっており、こんなブログでもチェックしてくださっているみなさんには『申し訳ありません』のただ一言です。ところが
ついに、ついに~!!!

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漢字 en France(その2) [フランスの思い出]

 僕がいたルーアンは観光客も多数訪れる街なのですが、その象徴とも言える建物がモネの連作でも有名なカテドラルです。本当に美しい建物で、僕はその前を通るのが大好きでした。

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パーフェクトワールド [フランスの思い出]

 外国にいると日本人なら誰しも日本食が恋しくなるのではないでしょうか。
そんなとき日本から届く小包みはまるで宝箱のよう。この中に入っている日本の食材にどれほど心なぐさめられたことでしょう。(ちょっとおおげさ)
 ところが…

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